嫌いな自分

私には、4年目の付き合いになる女友達がいる。名前をここではTちゃんとしよう。

 

Tちゃんはおしゃべりだ。よく自分のことを話す。よく笑う。そしてよく泣き、よく怒る。喜怒哀楽が激しくとても素直な女の子だ。

 

Tちゃんは人の話を聞けない。正確には、聞こうと思えば聞けるのだが私に気を許しすぎていて(そのくらい仲がいいのだから当然といえば当然だが)気を遣わないために私の話を聞こうとしないのだ。あの子は聞こうとしなければ聞けない。何故なら人は大抵の場合、人の話を聞くより自分の話をしているほうが楽しいからだ。

 

私はといえば、格好悪いことを言うけれど臆病代表なので人に合わせて生きてきた。小学校6年生からずっとそうやって生きてきて、自分がどんな性格なのかもう分からなくなっていた。薄っぺらい人間なのだと思った。真面目にまだ短い人生を生きてきたつもりだったしそれなりに笑いを誘うことだってできる。それでも自分がどういう人間なのかわからないのだ。そして取り分けて、わたしは自分の話が下手だった。悩み事もあまり人に話さなかった。ゆっくり静かに最後までウンウンと、話を聞いてくれる人じゃないと話せないのだ。そんな人は居ないのに。誰とでも合わせるために聞き上手になる道を選んだ為だった。大抵放っておいても人は話を始める。聞いてやれば、たったそれだけである程度仲良くなれる。それでもいつも私の心は空っぽだった。

 

今日Tちゃんが「Yのところに泊まりに行くことになったの」と言った。Yはわたしの6年目になる付き合いの友人の女の子で私を通じて2人が仲良くなったようなものだ。へえ、そうなんだと軽く答えた。「このあいだ電話で相談してたんだけど会って話した方が早いってなってそしたら泊まりにこないかって」と彼女は続けた。私はとても小さい人間で(正直なところTちゃんがいつも「あきになら何でも話せる!」という態度でいるからというのもあるが)私には話せない悩み事を相談しに行くのかと少し落胆した。私ではだめなのだ。そんなことが少し悲しくてそう思っている自分にも腹が立った。でも同時になぜそんなことを私に言うのか、とも思った。別に泊まるなら勝手に泊まればいい。2人で仲良くなればいいと思った。

 

3人という数は昔から嫌いだったのだ。ひとりがどうしても入れない話題があったりして、平等であることが難しいから。そして私は大抵1人になる。小学校6年生の時、仲間はずれにされた時も3人だった。それはやがてクラス中に広まり私は学校に行かなくなった。そんな過去をやっぱり少し引きずっているのかもしれない。

 

こんな思いをしていることは誰にも言えないし、2人が仲良くなるのを止めるわけには行かない。別に正直言ってそんな事はどうでもいいのだ。私の話を真剣に聞いてくれる友人ができればもうそれでいい。でもいない、どこにも。少なくとも今現在は。それだけがただ単にかなしい。そしてこんなどす黒い思いを心の奥底に隠している自分がとても嫌だ。